今日は、知恵リクエスト『ラック』について考えていこうと思います。
この曲はポルノ史上初の完全限定生産でしたが、ランキングで一位になり
10万枚しか発売されておりませんが、非常に親しまれている曲のようです。
Tamaさんのいるポルノとしては最後のシングルでした。
Tamaさん作曲のギター・ベースなどの楽器本来の音が最大限に生かされた
曲で、曲自体の雰囲気としても今までにない曲であったと思います。
晴一ワールドな歌詞は、私の考えでは
『僕』をとりまく現代の街についての曲であると思います。
そして、題名の『ラック(LACK)』とは不足、欠乏。
つまり、足りない。という事を意味します。
この曲の歌詞の殆どは、無くす、無くなる、足りない・・・・
そのような事にまつわる歌詞になっています。
『ラック』の意味を踏まえて歌詞を読むだけでも、新たな世界が見えてくる
曲だと思います。
『路地裏に~粗暴』は、まさに路地裏に蔓延る凶暴で粗暴な人で溢れる現代の事です。
『展望』とは社会の動きや見通しのこと。そんな先の見えなくなってきている現代には、
今日も荒れた少年の絶叫が響き渡る。といったところでしょう。
『つまりそのナイフは少年 君なんでしょうね』は私が思うに、
『おい少年!何だそのナイフは!』みたいな意味ではなく、近づくと怪我を負わされそうな
凶暴な少年は、触れれば血の出るそのナイフと同じ。『君』こそがナイフのような
武器そのもの。といいたいのだと思います。
『残された~投げつけていこうぜ』はそんな少年たちの現代社会への関心の無さ。
社会の動きが見えない世の中で、最後のお金を捨てるようなものです。
最初のこの部分は、現代を風刺したところと言えるでしょう。
『星空さえも~街を見ろよ』は、この街はある筈の星たちを見えなくするだけではなく
展望は欠落し放題にする。つまり、先の見えぬ社会に人々は這いつくばり、彷徨い歩く
ような街だ。という意味でしょう。
『今やそのせいで~姿もおぼろげ』は、今ではそんな街の所為で、空には星明りも無く
空はからっぽ同然。蛍光灯などの人口光だけのこの街では、会いたい人の姿も
かすんで見えにくい。という事だと思います。
サビ以降は、『僕』の街に対することが書かれていると思います。
『欠落感』はなにか一部が欠け落ちている事を感じること。
そんな背筋の凍るような欠落感は喉の渇きにも似てるが何かが足りない。
だが、『僕』に押し付けられた世界の酷さには、顕著(=際立って目に付くよう)に
欠落感が確実にある。そんな 『僕』の考えが描かれています。
『殴り倒したい~指先に絡む』までは『僕』の『この街』に対する思いの葛藤
だと思います。自分が殴り倒したいのは誰だ?こんな街に、涙など枯れてしまった。
切実な愛撫が欲しい。憎むべきなのは弱さだ!
そんな考えをしているうちに、口の中のガムはミントを失っていく。
『ミント』という大事な要素をなくしたガムの現状を見て、いたたまれなくなって
逃げ込もうと試みたけれど、全てを失った人たちの住むスラムが出口を
阻んでしまうため、逃げ込むに逃げ込めないでいるということでしょう。
『ずるい現代の~深くにきくのさ』で、『センチメンタル』とは感傷的、涙もろいさま
を意味します。ずるい現代の悪臭に耐えて見せたけど、やはり『僕』は
前時代のまま、センチメンタルな僕で、涙を流してしまうような僕。
そんな現代の街にとらわれない前時代のままのセンチメンタルは、
葛藤する頭中の深くにきく。ということだと思います。
サビの『閉塞感』は、出口が塞がれているような感覚のこと。
つまり、『僕』はスラムが出口を塞ぐと知りながら、そこに逃げ込んでしまったんでしょう。
ほこりっぽい地下で見張られているような、圧倒する閉塞感。
そして、ここ以外には世界がなくなってしまったように思わせる、殺到する閉塞感。
そこで初めて『僕』はしくじってスラムが出口を塞いでいる場所へ入ってしまったことを知り
欠落したものをリアルに感じる苦しみを知った『僕』は、ネジをなくして崩れた
ガラクタみたいなものだった。
私が思うに、『僕』は『欠落感』を恐れ、逃れようという少年だと思います。
だが、スラムに出口を阻まれ、しくじったことで欠落感を味わってしまった。
『欠落感』から逃げようとした事で、『欠落感』を感じてしまったんでしょう。
そして、『欠落感』は大事なネジをなくして崩れてしまったガラクタのようなものだった。
それを『僕』は身をもって知ったんでしょう。
この歌詞には『欠落』『欠乏』を思わせるところがたくさんあります。
街に欠落が溢れ、それを恐れる少年の話。それが『ラック』だと思います。
最後に『僕』がリアルに感じた『欠落したもの』。
それがなんなのか考えてみるのも面白いかもしれません。