『岩手ランドスケープ』の記事見て『カルマの坂』の
分析がやりたくなったので、急遽やります!勝手ですが・・・
この曲は『横浜リリー』のように物語になっている曲で、
ファンの間では非常に人気のある曲です。
ベストアルバムに収録されている事から、知っている方も多いと思います。
曲は本間さんで、ミディアムバラードになっていてとても印象に残る
親しみやすい曲だと思います。
ですが、やはり注目するところは歌詞ではないかと思いました。
私が思うに、この曲は、スラム街(貧しい人が路地裏などにつくった居住区)に
住む人のことや、人身売買(人を商品としてうること)についての物語だと思います。
現在でも、スラム街や人身売買の問題は続いているので、まさに時代を
風刺した曲です。
『少年は生きるため、盗みを覚えていった。』から分かるように、少年は
ものを盗まなければ生きていけないような状況の下にあるということです。
『醜く太った大人達』とは、貧富の差を表していると思います。
『少年』のように食べ物さえ手に入らない人も入れば、醜く太るほど裕福な生活
をしている人もいると、言いたいのだと思います。
『是』とは『正しい事』、『非』とは『正しくない事』を意味します。
『少年』は、そんな道理を超えてまで盗みをしなければ、生きていけないと
言う事です。そんなスラム街は、日本にこそ目立ってないものの、
世界中に存在しています。
『清らかな~罪を重ねる。』は、生きるために盗みを行っている少年は
犯罪意識が無く、心が穢れる事もなく罪を重ねてしまう。といいたいと思います。
きっと、少年をそうさせてしまったのは、紛れも無く今の世の中ですね。
地獄でさえも喜んでいけるほど、スラム街は息苦しいところなのかもしれません。
『人は皆平等などと、どこのペテン師のセリフだかしらないけど。』
たしかにその通りです。人は皆平等と言っておきながら、これほどまでの
貧富の差があります。そんな人たちからすれば、私たちの言葉は
ペテン師(=詐欺師)の言葉に聞こえてしまっても可笑しくないです。
『すれ違う行列』とは、恐らく人身売買で売られた子どもでしょう。
『美しい少女に目を奪われ立ちつくす。』で、『少年』は恋をしたんだろうと
考える人のが多いと思いますが、そんな美しい少女でも、貧しい事を理由に
商品にされてしまう。そんなかなしい事実も述べられています。
大サビの、『風と呼ぶには悲しすぎよう』。生きるために盗みを行っている子が
必死に引きずりながら歩く光景は、本当に悲しすぎます。
『カルマの坂』の『カルマ』とは、仏語で、人の身・口・意によって行われる善悪の
行為、または理性によって制御できない心の働きなどの意味合いがあります。
どちらの意味が正しいかは、この後の歌詞が理解できれば分かるのではないでしょうか?
『こわされた魂で微笑んだ。』とありますが、人身売買は、女性の場合買い手の性的欲望の
ため、売春婦のように扱われる事が多いそうです。
きっと、少年が駆けつけたときには遅かったんでしょう。それでも、
助けようと駆けつけてくれた少年に精一杯微笑んだんでしょうね。
『最後の一振りを少女に。』
ここは人によって考え方が大きく異なるところだと思いますが、きっと少年は
少女を殺したんでしょう。私が少年だったら、これ以上穢れてしまう前に、悲しい思いを
する前に、此処よりマシな天国、もしくは地獄に逝かせてあげようと考えます。
罪意識がなかった少年も、人を殺した罪を、その身に確かに感じたんでしょう。
そのあと、話は終わってしまうので、どうなったのか分かりません。
私は、カルマの意味は、今回の場合、『理性によって制御できない心の働き』
だと思いました。少年は居た堪れなくなったと。
聞いた事無い人は是非聞いてみてください。
私たちの無力さと愚かさを教えてくれる曲です。