予告:金曜日まで失踪します。
今日は、以前の夢人島Fesを録画したビデオを見ておりました。
やっぱ、あういうサプライズを率先して出来るところもポルノグラフィティの
魅力の一つですよね。見てない人にはネタばれですが、
昭仁さんの注射器とかね、晴一さんは婦長なのかな?
サポメンの皆さんなんて、パジャマ姿で患者の役をやっていて
観るだけで面白かった(笑)
しかも曲が『DON'T CALL ME CRAZY』!!
意味が『俺を"クレイジー"と呼ぶな』って所も考えてあって凄いです。
話題変わりますが、私は読書が好きなんですが、
最近は村上春樹の『海辺のカフカ』っていう本を読みました。
この本は、起こりもしないことが本当に起こるように思わせるリアルな話です。
村上春樹さんは、晴一さんが好きな作家でもありますが、
この『海辺のカフカ』は、晴一さんを連想させるような言葉が幾つも
出てくるんです。『アイデンティティ』とかそういうカタカナ語とか
『幸か不幸か』なんて何回も出てきました。
晴一さんの計り知れない言葉のボキャブラリーは、読書も関わっているのでしょうか?
本は勉強になりますからね。いいですよ、本って。
で、冒頭の発言についてなんですが、記述どおり
葉月は金曜日まで失踪します。
自分探しの旅に出ます!!・・・というのは嘘で、
中学校の合宿で帰ってくるのが金曜日なので、それまでブログを
一時休止します。多分、それによって困る人なんて居ないと思うんですが(笑)
なので、皆さん!また金曜日にお会いしましょう!!
金曜日は『ネオメロドラマティック』の曲分析をします!
本日2回目の書き込みになりますが、
Mr.ジェロニメさんのリクエストで急遽『愛が呼ぶほうへ』の
曲分析をします!Mr.ジェロニメさん、ありがとうございます!
曲はお馴染み本間さん作曲で、
曲調はミドルテンポな、心温まるバラード調になっています。
ポルノの中でも、最もバラードの王道を行く曲ではないでしょうか。
この曲で昭仁さんが初めてピアノを披露したことや、
因島での凱旋ライヴで観客の皆さんと合唱したり、
ファンの皆さんにも印象深い曲であると思います。
歌詞は晴一さんなんですが、なかには
この歌詞の『僕』はストーカーではないか、とか言う人が居ますが、
もっと深く聴いて欲しいです。とってもいい曲だと思うんです。
『My name is love』で分かるように、『僕の名前は"愛"』
つまり、この曲の全ては"愛"視点で書かれているものだと思います。
『償う人の背に~望むまま』では、何らかの罪を犯し、
それに対して償う人にも、雨なんかじゃなく綺麗な水をあげよう。
そういう間違いをしてしまった人にも"愛"は平等だと言うことを
いいたいのではないでしょうか。
『戸惑う人の目に~手をとってあげよう』では、何かに戸惑っている人、
何かに悩んでいる人には『吹き付ける風』のように
追い討ちを掛けられるけど、そういう時も"愛"が何らかの形で
私たちの手をとって導いてくれる、という事だと思います。
サビの部分は、"愛"から私たち、つまり曲を聴いている人に向けての思いでしょう。
確かに私たちの周りには色んな愛で溢れています。
家族愛、兄弟愛、恋愛、友愛、愛玩、愛吟・・・
他にも『愛』のつく言葉や名詞も数え切れないほどあります。
これらの愛はいつも傍にいる"愛"もあれば、生きていく上で
何度も出会う"愛"もあり、近くや、または遠くにある"愛"もある。
私たちの身の回りにはこんなにも"愛"で溢れているというのに、
私たちはそれを忘れがちなのかもしれません。
『幼い恋の瀬に~受け止めていた』までは、"愛"は嬉しいときや楽しい時だけではなく
喜怒哀楽関係無く、私たちの傍に居るということではないでしょうか。
失恋した自分のために一緒に泣いてくれた友も、黙って見送り、行くまで涙を
見せなかった父の行動も"愛"があっての行動。そう言いたいんだと思います。
2番のサビも一番と同様で、私たちに対する呼びかけだと思います。
『幼い恋の瀬に~』であったように、喜怒哀楽の全ての感情において
"愛"から生まれた物。つまり喜び、悲しみ、怒り、憂い、
全ての感情は"愛"がもつ名前の一つに過ぎない。
時には永遠に連れ添ってく悲しみだったり、一瞬の喜びや幸せだったり
するけれど、私たちにとっての全てに違いないんでしょう。
『花が空に~愛が呼ぶほうへ』のところは、私も意味の難しいところだと思ったんですが、
何故花は空に向かって伸びるのか?
何故旅人はそこまでして海を越えていくのか?
そう考えると、芽吹くことを知らない花がないように、呼吸を知らない動物が
居ないように、それこそ私たちが知るよしも無いような
大きな愛によって導かれてこの世の全てが成り立っている。
そういうことがいいたいのかな、と私は思いました。
全ての物は生まれながらにして、いつかは滅びる運命を背負いながらも
何故生き続けようと、あり続けようとするのか。
いつかは無に帰すと分かりながら、何故そこまで頑張るのか。
それも"愛"によってのものなのかも知れません。
『ラルク アン シエル』は『虹』って意味なんです。
それを妹に言ったら
『じゃあポルノグラフィティはどういう意味なの!?』
って聞かれて困りました。
皆さん勿論ご存知だと思いますが、
メタル系バンド『エクストリーム』のアルバム『Porno Graffitti』に
由来する『ポルノグラフィティ』。意味は『エッチな写真』。
インパクト重視でつけた名前で、名付け親は晴一さん。
その筋では有名なんですが・・・・
これを小学生に普通に説明していんでしょうか!?
妹『で、どういう意味なの?』
葉月『えっ!!・・・・知らないなぁ・・・(汗)』
妹『ファンなら知ってるでしょ』
葉月『(うっ・・・)』
妹『バンド名の意味も知らないなんてファン失格だね』
やめてくださいよ・・・分かる時が来るんだから・・・・・
葉月『だからさ、グラフィティは『写真』とか『落書き』って意味じゃん(汗)』
妹『じゃあポルノの意味は何なのさ!?』
葉月『ほら、ポルノ映画とか言うじゃん!?ほら、ファミマの
一番奥に並んでる雑誌のような(汗)』
妹『・・・・・そんなにやましい意味なの?』
やましいといえばやましいですよ!!!
妹にはかなり遠まわしに説明しました。(疲)
今考えてみれば、ポルノグラフィティが居なかったころに
『ポルノ好きなんだよね~』って堂々と言えた人なんて
いなかったような気がする。
そんなこと言ったら即変態扱いですからね(笑)
妹『じゃあ、ポルノはエロエロなの?』
葉月『(エロエロって何だよ・・・)
知らないよ~本人じゃないんだし』
妹『でも、昭仁さんとか下ネタ好きだし、詞がエロい曲もあるよね~
よく紅白出れるよね』
もうやめてください・・・
今日は『ジョバイロ』の曲分析をしたいと思います。
シングルなので、皆さん知っていることだと思いますが、
スペイン語で『私は踊る』という意味です。
曲調は、ポルノが得意とするラテン系で、
『アゲハ蝶』『サウダージ』に並ぶラテン系楽曲ではないでしょうか。
手拍子もそんな雰囲気を醸し出していると思います。
歌詞は晴一さんということで・・・・・・
またまた回りくどいのが来ましたね~(笑)
哀愁漂う大人な歌詞ですよね。PVだと女性視点になっていましたが
『銀の髪飾り』や『僕はどんな』とあるので、曲自体は
男性視点の曲なんでしょう。
テーマはまさに『叶わぬ恋』。
『舞台の真ん中に~』のところの『舞台』を『あなた』に置き換えると
『僕』は舞台の真ん中に躍り出るには相応しくないように
『あなた』にとって自分が相応しくない事を知っているということでしょう。
『あなたが気付かせた恋が~小さな芽を摘んで欲しい』は
この曲で、一番共感される箇所だと思いますが、
恋は相手が自分の事をどう思っているのかとか、関係なく感情が
大きくなっていくけど、自分で相手の事を忘れるのは出来ない。
だからそんな恋が確信に迫る前に、相手の方から自分を切り捨てて欲しい。
そんな感じですかね。なんともリアルな恋心が書かれていて
共感されるわけがよく分かるような歌詞だと思います。
『篝火』は漁猟等のために焚く炎のことです。
『闇に浮かんだ~』からの歌詞はある意味まほろば的にしまうんですが(苦笑)
遠まわしに言うと、叶わぬだと知っているのに、『あなた』を前にすると
『あなた』を愛さずにはいられない。
それでも、夜は、そんな『僕』を責めずに見て見ぬ振りをしてくれる。
そんなとこじゃないですか?
『折れかけのペン~喜劇になった』は、勇気を出して、この恋を成功させようと
物語を変えようとしたけれど、結局実らず、かえって歪な喜劇のようになってしまったという
努力の結果が見られます。
『あなたの隣に~』は、本当の自分じゃない事、あなたの前では演技をしている事を
表しているんだと思います。
『はぐれないよう~』は、手を繋いでいたのは不安で仕方ないから。
『不安だった』で、過去形になっているのは、あなたが傍に居ない
今となってはそんな風にすら手を繋げない、という
さらに悲しい現実を表していると思います。
冒頭の『人は誰も哀れな星~誰かに気付いて欲しかった』
は、人は皆、孤独な存在で、自分がいつかは死ぬと知りながらも
誰かに存在している事、生きている事を伝えたい。
この曲は出だしからとっても切ない曲だと思います。
ここまで切ない曲は、ポルノの中でも
他にないかもしれません。
最後まで読んでくだされば幸いです
最近、私の友達が完全に不登校になってしまいました。
私の友達は、伝統的な舞踊みたいなのを部活でやってるんですが、
その友達(A子とします)は以前から休みがちになってたんです。
だけど、A子は自分がやりたかった役になれて、同じ役をやりたかった子が
落ちてしまったのをきっかけに、いじめが始まったようです。
私がその事実を知ったのは、その部活の一人の子が
私に『部活で皆がA子を嫌って仲間外れにしてる』と自白してくれて知りました。
でも、遅く、A子は不登校になってしまいました。
私も小学校高学年の時、いじめにあって耐え難い孤独に耐えてきました。
だから、A子の気持ちは痛いくらいに分かります。
私はA子とクラスが違ったけど、A子にはクラスに仲がいい同じ部活の子が
居たので、大丈夫だろうと思ってました。
でも、A子曰く、その子は部活になるといきなり悪口をいい、避け、
次の日になると何事もなかったかのように話してくるんだそうです。
クラスが違った事もあるけど、気付いてあげられなくってごめんなさい。
いじめに耐えた私だからこそ分かるんですが、
いじめに耐え抜いた人は強いです。自分で言うのもなんですが(笑)
勿論、私も強いと思います(笑)
世間では、いじめによる自殺が多発しましたが、『孤独』は『死』に値する程、
恐ろしい物です。だから、人は孤独に耐えかねて死を選ぶんです。
私は、いじめに耐え、中学校に入学し、今では親友と呼べる人もいます。
今では、もう何も恐くなくなりました。悪口を言われても、侮辱されても。
でも、A子はいじめに耐えられなかったが故に、これからの人生までも
塗り替えられてしまいます。
A子は頭がよく、学年でトップを争うような良きライバルでした。
でも、今は授業に出ていないので同じ高校にはいけないでしょう。
内申点が足りないんです。
そして、この世の物とは思えない、恐ろしい孤独と共に生活しているんでしょう。
最近では、同じ部活のA子をいじめていた人達が、何事もなかったかのように
家に訪れる。それが悲しい、と言っていました。
『シスター』の歌詞中に
『悲しみが 友の様に 語りかけてくる 永遠に寄りそって 僕らは生きていく』
とありますが、私はいじめにあって以来、友達が出来た今でも
酷い不眠症に悩まされています。酷いときは、一週間寝れないんです。
いじめを受けていた時、いじめを受けるくらいなら明日なんて来ないほうがいい。
と思ってました。自分独りになれる夜が一番好きだったんです。
だから、いじめに耐え抜いた人でも、幾ら強い人でも
その記憶や、私のように何らかの症状が残ります。
『孤独』は『死』よりも恐ろしい物かもしれません。
『シスター』は私の支えになった曲です。
ポルノグラフィティは私の救いだったといっても過言ではありません。
いじめられている人に言いたい。
いじめは耐えるしかない。悲しい事だけど、自分を救ってくれる人なんて
なかなかいないんです。そのためにも、自分から強くならなくては。
いじめは、大抵の場合、いじめられたときの反応を面白がってやります。
だから、凛と、平気な顔をしてるしかないんです。
あと、趣味があるのは自分の大きな救いになります。
私の場合は音楽だったけど、なんでもいいです。
どうか、いじめになんか負けませんように。
いじめられている子が近くにいる人に言いたい。
A子もいっていたんですが、何気ない『おはよう』とか『バイバイ』とか
そういう些細な言葉がとっても嬉しいそうです。
少しだけ、立ち直れるんだそうです。
そういう言葉を、少しずつ増やしていけたらいいな。
いじめてる人に言いたいことは、あえて書きません。
この文章で、私が伝えたい事を感じ取ってもらえたら
それでいいです。